院長の週末                    
 


2001年 9−12
2002年 1−2 3−4 5−6 7−8 9−10 11−12
2003年 1−2 3−4 5−6 7−8 9−10 11−12
2004年 1−2 3−4 5−6 7−8 9−10 11−12
2005年 1−2 3−4 5−6 7−8 9−10 11−12






コウモリ1600頭!  2月27日(日)
オオサンショウウオ  2月26日(土)
のんびり        2月20日(日)
雨の探鳥会      2月19日(土)
天王寺動物園     2月18日

子供からの手紙    2月18日
寒風のカエル探し   2月13日(日)
新穴捜し         2月11日
職業講話        2月10日
久しぶりのUSJ    2月6日(日)
友の会評議員会議  2月5日(土)
友の会総会       1月30日(日)
京都市動物園     1月23日(日)
自然史センター総会と博物館友の会評議員会議  1月22日(土)
コウモリ         1月15日(土)
多摩動物園 TDL   1月9−10日(日、月)
国崎のコウモリ    1月8日(土)
国崎のゴミ焼却場   1月7日
正月           1月1日(土、元旦)





キクガシラコウモリ1600頭!
2月27日(日)


(すごくうれしくて長文になってしまいました。すんません。)
兵庫県西部の穴です。かなり遠いのですが、昨年2月に友人から教えてもらい行ってみると、なんと1000頭を超えるコロニーがありました。たいへん感激しました。夏に再調査するとほとんどいません。いわゆる冬眠洞らしいです。で、今期も冬になるのを待ちわびて調査へ行ってみました。

中国道から見ていると、昨年の台風23号であちこちの植林地が倒木だらけになっています。ここも例外ではなくかなりの数の杉が倒れていましたが、幸い穴は健在でした。

下の穴はすごいグアノの量があるのにコウモリがほとんど見つからない不思議な穴。冬にもいない、夏にもいなかった、ほんならいついるんだろう?遠いのでマメな調査が困難です。
ユビナガコウモリが季節的に利用しているんでしょうか?本来は何百頭単位で長距離を移動するコウモリですが、前回と同じく一人だけ奥にぶら下がっていました。どんな世界でも変わった子はいるのか?仲間はずれにされているのか?

結露してビショビショのユビナガコウモリ。


で、ついで本命の上の穴へ。ここは入り口だけ見るとそんなに大きな穴には見えません。入り口につらら、下に氷旬。いい雰囲気ですねえ。
入ってすぐにテングコウモリがちらほら、ついで隙間にモモジロがポツポツ。期待しながら入っていくとテングの団体が見え、ついでキクガシラコウモリが見え始めました。今日はカウンター持参で準備万端。カチャカチャやりながら観察。最初のコロニーで400ほどいました。モモジロが隠れていたりテングが一緒だったり。


この廃坑は再奥部で坑道が90度曲がっており、ここが本命。期待通りのコロニーがありました。カウンターを押す指が疲れてつりそうでした。で、合計は1586頭。昨年と同じ規模でした。
今日は一部にバンディング。さすがに、全頭バンディングするのはもったいなくて、100頭分のバンドを用意しました。割合から言うと6%にバンディング、ということになります。(ちなみにバンドは1個30円強。)

カウントして撮影してバンディングして、で、結局1時間以上穴にいたようです。今度会えるのは来年かなあ、と思うと別れがつらいもんですねえ。でも、来年はバンドを付けた子に会えるかどうかの楽しみが出来ました。


コウモリの寝姿2態


帰りに斜面を降りていると、きこりさんに会いました。話を聞くと ”穴みたいなもん、100ほどあるで。掘ってたんは明治やろ、銅を掘ってた、この下に大きな事務所があったもんや”、てな話をしてくれました。田舎の、”すぐそこ”、や、”何百” はアテにならないことも多いけど、話半分にしても50はある?、と思いつつ、言われた山を登ってみると大きな穴が見つかりました。十分立って歩ける坑道です。一般的には明治の穴というのは這うのが相場なんですが。よほど鉱脈が大きかったのか。
内部はグアノの量がものすごく、泥状になったり富士山状に堆積していたり。そのくせ見つかったコウモリはキクガシラ一つのみ。
うーん、さっぱりわかりません。このウンコの持ち主は誰だろう?いついるんだろう?なんでこっちで寝ないんだろう?ユビナガコウモリの一時使用か、キクガシラコウモリが繁殖に使っているのか。冬・夏だけではなく春・秋の調査も必要みたいです。

ええ穴やんか。 尋常ではないウンコの山。

穴で見つけた空き缶。明治のものかも。 これが鉱石かなあ?銅っぽくない?


肝心の廃坑の数ですが、結局見つかったのはここだけ。100と1では違いすぎる。かといって、このあたりは急な植林地で簡単には調査できそうにありません。もっとしっかり聞いておけばよかったかな。
いつも言うけど、コウモリのいそうな穴が見つかるのは非常にうれしいけど、再調査のことを考えるとしんどいなあ、という贅沢な悩みがまた一つふえました。




久しぶりのサンショウウオ
2月26日(土)


なんだかずいぶん久しぶりのようなような気がします。
2月も末なので少しは暖かいかと思っていたら、夕方から雪と雨でずいぶん寒い。だんだん雨がひどくなってきたので、雨がやんでも増水で調査できない、中止かなあと思ったとたん急に晴れてしまいました。仕方なくよろこんで行ってみると北部の方は雨の痕跡もありませんでした。天気はよくわかりませんね。

現地は氷点下。水温はおそらく3,4℃?。北海道でのスキー用に買ったダウンジャケットも今はオオサンショウウオ用。でも、上は暖かいが足元はやっぱり寒い。
今日は大きいのから小さいのまで各種サイズがそろっていました。なんだかんだで4頭発見し、いつもどおりの測定。まあまあ成果もあったし、早めに切り上げて家に帰ったのが11時。いつもは午前様なのですが今日はちょっと早かった。

ちょっと大きめ。 個体識別に使えそうな、痛んだ足。




今日はのんびり
2月20日(日)


博物館の講演会や月例ハイクがあったけど、寒そうでなんとなく行く気にならず。冬眠調査も立て込んでいるけどコウモリ仲間に調査を押しつけてしまい、驚異的に本日、予定なし。ちょこっと病院で雑用を片づけ、家でコウモリのデータ整理をしていました。
コウモリのデータはたまる一方。(当たり前ですね。)2年ほど前にはおおまかなところをコウモリの会へ報告しましたが、以降新発見もいくつかあるし、移動データを少し報告したく思っています。大学でも論文なんて書いていないので(私の時代は卒業論文は義務ではありませんでした)どう処理していいんだか、ずっと悩んでいます。どなたか、データ処理のお勉強にいかが?

もうすぐ春 たまる一方のデータ




雨の探鳥会
2月19日(土)


ユリカモメは、昼はパンを食べに(?)川をさかのぼったり大きな池に飛んでいきます。夕方になると大阪湾へ移動して寝るはずですが、どこで寝ているのかはわかっていません。何年か前、岸和田で観察していると、いったんここへ集まった後に沖へ移動しているようでした。先日、男里川(関西空港付近)で見ているといったん沖へ移動してから北上している雰囲気でした。

兵庫県側のユリカモメの動きを知りたくて、武庫川沖での観察を計画しましたが午後から本格的な雨。寒いだろうし、移動を追いかけるなら車があれば便利だろうと車での参加を以前に申し出ていて、どういう訳かこの会は雨天中止という対応をしていないので仕方なく(?)集合場所へ。
ここにはユリカモメの足環を毎日記録している人がいます。多い時は一日に2−30羽の足環を読むとか。この川でバンディングしているので番号付きのユリカモメが多いとはいえ、驚異的です。その方や仲間の方3名もきてくださり総数7名。雨の中、よく集まるもんです。みんな好きですねえ。

雨でカモメも先に帰ってしまったのか、カモがプカプカ浮いているだけで、しかもかなり距離があるので双眼鏡ではつらい距離です。雨もひどくなってくるし、早々に引き上げました。
ここは鳴尾浜って、阪神の2軍の練習場があったり寮があるんですが観光は出来ませんでした。もっとも阪神は今は1,2軍ともどこかでキャンプらしいです。




天王寺動物園
2月18日


(なんや、こっちまでBLOG化してるみたい。)
ちょっと用事があって天王寺へ。
天王寺へ行ったからと言って必ず動物園へ行く訳ではないけど、さらに森本君がいなくなっても園は変わらないでしょうが、何となく足がそちらへ向いて久しぶりに入園してみました。いつもは森本君にご挨拶してから裏からはいるけど今日は正面からです。といっても、実はどういうわけか、建設局から無料のパスをいただいておりますのでタダで入ると言うことには変わりないんですけど。

ゾウの展示場が新しくなっていました。 狭い園やのに、うまく地面をやりくりしてますねえ。

サルのいないサル山でヤギが一人で留守番していました。
結核で死亡が相次いだのと、勢力争いで群れが崩壊したんだそうです。

バードケージで繁殖するアオサギ達。
といっても実はこれ、ケージの外です。
夜行動物舎のキーウィ。赤外線撮影です。
20年以上飼ってるんとちゃうかなあ。




子供からの手紙
2月18日


先日の、職業なんちゃらのお礼の手紙が来ました。読み書きソロバンが出来ない私とは大違いです。
きれいな字としっかりした内容ですねえ。薬剤師(?ちょっと誤解?)とか、死んだら剥製(?)ちゅうのは動物病院とあんまり関係ないけど、そんな話してきたんでしょうないでしょうな。




寒風のカエル探し
2月13日(日)


博物館の大和川調査関連行事でカエル探し、というか、ニホンアカガエルの観察会でした。
アカガエルというのはこの寒い時期、うわさでは2月の2回目の雨の日に大産卵大会を開くんだそうです。イモリなどの捕食者が寝ている時を狙っているんでしょうか。アカガエル自体もわざわざ冬眠から起き出し、産卵後また寝るそうです。で、気の早いカエルもいて、すでにいくつかの卵塊が見られるというので今日の観察会がありました。主催者の意図は今日を練習として大和川水系を手分けし、広く情報を集めたいそうです。ニホンアカガエルとヤマアカガエルの生息状況、両者の棲み分け、標本の収集が目的らしいです。

調査地は奈良県の矢田方面、私の実家の法隆寺から近いところ。解散場所に先に車を置いて集合場所まで歩きました。しっかり地図を片手に持ちながら予定どおり道に迷い、藪こぎをしてしまいした。本体と合流までに一仕事でした。
合流後、公園の人工池に産卵された卵塊、付近の落ち葉で寝ていたカエルを捕まえてみんなで観察。思っていたより大きいカエルでしたが痩せていました。今頃起きても食事は当たらないだろうし、オスは早めに起きてメスを待ち受け、メスの取り合いまでしないといけないんでしょう。まあ、繁殖は生き物としての一番の目的でしょうけど大変なお仕事ですねえ。

人工池だけどこの環境が好きらしい。 こんなんです。

少し発生が進んでいますね。 これはオス。親指に”タコ”。

大きさは違うけど両方オス。 本来の生息地。ここにいっぱい、いた。


その後、次の公園まで田んぼの脇や水たまりをチェックしながら移動。いそうな所はいくらでもあるのになかなか見つからず。時期が早いのか、微妙な環境が気にくわないのか、カエルの気持ちは理解しにくいもんです。

解散場所は大和民族公園というところで、奈良県立民俗博物館というが公園内にあります。また、昔の民家もいくつか移築されているのでそれも見てきました。藁葺きの家というのはええもんですなあ。やっぱり私にも日本民族の血が流れているのかなあ。時間が十分あったのでこれもじっくり観察して本日の寒い中の行事はおしまい、でした。

で、例によって例のごとく別バージョン。画像の羅列でおもしろくないです。

ええもんですなあ。 生きた道具は迫力がある。




新穴捜し
2月11日(紀元節)


友人からの情報で久しぶりに新穴を探しに行きました。
私のコウモリ始めの穴、おそらく一番最初にコウモリを見つけた穴の近くです。ここは小さな試掘坑が一つだけで、他にも穴があるのでは?って何回か近くを探したこともあるのですが見つけられませんでした。友人の話ではすぐ近くの斜面に開口している、って事でした。

ここは小さいながらもたいていコウモリがいた(いる)穴です。一緒に調査しているF氏宅から近いので最近の調査は任せっきりでした。
1,2年前にホームレスが住み着き、コウモリもいなくなってしまい残念に思っていたら、布団や鍋釜の荷物を置いたままいなくなってしまいました。今度はこの荷物に困っていたら、昨年の大雨で内部が洗われて若干のゴミは残るもののほぼきれいになり、コウモリも一つ戻ってきていました。ほっと一息。


で、友人から聞いたあたりの斜面を探してみるものの痕跡も見つかりません。ちゃんと聞いたつもりやけどなあ。うーん、残念。久しぶりにガレ場の斜面をはいずり回りました。

その後、もう一つの穴へ移動。実は今日のコースは有名なハイキングコースです。入り口と出口に一つずつ穴があります。(ということで今日は電車での調査。たまには気楽でええもんです。)
予定どおりキクガシラとユビナガを少々観察しバンディング。なんとか仕事になりました。


で、帰りにホネホネ団。
ゴマフアザラシの続きがあると聞いていたので見物だけに行ったつもりが、人手不足で手伝う羽目になりました。十分には肉が落ちておらず油でギトギト、さらに特有のにおいがあってさすがの私も力は入りませんでした。横にイタチやタヌキも見えましたが見えないふりして早々に逃げ出しました。詳細はホネホネ団へお越しください。




職業講話
2月10日


(BLOGとの棲み分けがどうもよくわかりません。週末ではないけど出来事なんでこちらにも掲載しておきます。)
講演の依頼書には ”総合学習の一環として「職業講話」を計画しました。”、てな事が書いてあります。ゆとりの時間や総合学習というような漠然とした教育内容が増えてきて本来の学習の時間に当てる時間が減少、学力の低下につながっている、というような報道があったような気がしますが、関係者でないのでよくわかりません。
うちのこども達も同じような教育を受けてきたんでしょうが、今考えてみると教育の事なんて年に何回かある父兄参観に顔を出したり子供会のソフトボールを手伝ったりしていただけで、ほとんど学校とお母ちゃん任せでした。
中学生の職場体験のところにも書きましたが、親の働く姿を見せるのが一番いい教育だと思いますけどねえ。といっても、自営業ならそれが日常。間を取って、友達の親の職場見学なんてどうでしょう?

20人弱を相手に30分の話を2クール、でした。30分ぐらいスライドがあれば何とかなると思っていたけど疲れました。お行儀がよすぎておとなしくてこちらの話がわかっているんだか、わかっていないんだかがわからない。毎日、こんな子供達と1日顔をつきあわせている学校の先生を改めて尊敬しました。
一番受けたのはミグちゃんとタヌキのこどもの写真でした。




久しぶりのUSJ
2月6日(日)


研究会があったのが玉造。環状線に半周乗って1ヶ月ぶりのUSJへ。
電車で来る事なんてめったにないし、丸1日イスに座って慣れないお勉強をしていた開放感から遠足気分です。着いたのが5時過ぎ。駅で降りる人はパラパラ。この時期、花火もないし、営業は7時までなんでこんな時間から来る人はほとんどいません。なんだか寂しいなあ。とはいえ、シティーウォークでは大道芸をやっていたりで少しは人がいます。


入り口の歩道橋から大きなホテルが見えます。ホテルユニバーサルポート、ちゅうオフィシャルホテルらしいです。しばらく来ない間にここまで出来ていました。といっても、利用することはないでしょうけど。
そこまでやる気があるのなら、もうちょっとパーク自体の集客をはかった方がええように思うけどなあ。2月の閑散時期とはいえ平日5時、週末7時では人も集まらんで。パレードも花火もないし。

USJのファンサイトでは2月は休園、ちゅうような意見もありました。北海道の動物園と同じですねえ。

まあ、おかげさまで待ち時間なくスパイダーマンもETも久しぶりに楽しんできました。食事もしてこようと思ったけど7時閉園ではさすがに食べる時間がない。




友の会評議員会議
2月5日(土)


博物館友の会評議員会議の新年度1回目。(この会は1月が年度替わりで1月末の総会は2004年度の総会に相当。)
今年1年のおおまかな計画を話し合いました。
合宿が3回もあります。うち1回は北海道。なんと1泊食事付きでも2−3000円だとか。もちろん、これに諸経費が入るけど安いなあ。でも現地集合現地解散。青春18切符でもちょっと遠すぎる。

というようなことばっかり書いてもおもしろくないでしょう。
ブログをはじめてこっちへ書くことが無くなってきました。軒を貸して母屋を取られる、かな。
小ネタをそれとなく追加しています。これもおもしろいものではないけどお暇な方はどうぞ。



友の会総会
1月30日(日)


自然史博物館友の会の総会です。いつも大阪国際女子マラソンと同じ日。総会に通い出した頃は館のすぐ横を走るのでその時間に合わせて沿道に立ち、家に帰ってから録画しておいた映像で自分の姿が映っているかどうかを確認していましたが、あっという間で見られた試しがありません。
というのは関係のない話で、関係者としては主催している以上人の集まりが気になるところ。
午前10時から始まり最初は会員の発表会みたいなもの。ビデオを見たりスライドを見たり。昼にこちらで用意した豚汁を食べながら食事、午後から招待講演に総会議事、バザーでおしまい。
記憶にある限りパターンは全く変わっていません。毎年事前の会議で目新しいもの、人が集まる企画を話し合うけど結局は同じ所に行き着いてしまいます。改革というのは難しいものです。

昼の講演は中村浩志氏
鳥で超人的な活躍をされている人です。その一端はここを読んでもらえればわかります。
飛ぶ鳥を一定の広さですべて捕獲し、個体識別しながら研究するってとてつもなくすごい。日本で一番木登りがうまい教授、と自認されていました。気のてっぺんにかすみ網を張って鳥を捕獲するそうです。
アルプスのライチョウの個体数をすべてカウントしたり、今は猛禽類の巣にカメラを取り付けて研究しているとか。

同時に開催された、会員の研究発表、作品展です。

ツバメの巣でアブラコウモリが繁殖しているのが見つかっています。日本初記録!




京都市動物園
1月23日(日)


午後から京都で研究会があり、午前中がもったいないので動物園見物をしてきました。研究会がついでか、動物園がついでかは微妙なところです。
岡崎動物園だと思っていたら京都市動物園が本名らしい。入り口を入って真っ先に園内図を見るのが最近の一番の楽しみ。何がいるか、この動物園の売り物は何か、てなもんです。
案内地図を見て園内を見渡して気が付いたのが、えらい小さい動物園やなあ、ということでした。大昔に来た時、疎水が園内を流れていたことだけを覚えていて、そういう面から大きな動物園だと思ってました。ということで詳細は例によって例の如く、こちら をごらん下さい。

午後1時30分には京都市駅前に戻る必要があったので、見学の時間を少しでも長くとるため動物園に9時過ぎに着くよう、逆算して家を7時過ぎに出てきたのにえらい時間が余りました。幸いとなりに疎水記念館というのがあったのでその見学もしてきました。こちらもそれなりに楽しんできました。

ということで充実した午前中を過ごして1時過ぎからはまじめに研究会に出席、気持ちよく 昼寝 勉強してきました。

今さらこんなこと書いてたら笑われそうですが、JRで京都から堺市に帰るのはいったん大阪駅で降りないとダメなんですね。大阪−京都は私鉄と競合するので距離の割に料金を安く設定しているということは知っていました。大阪駅で改札を出ないとその利点は使えない、そのまま堺まで来てしまうと210円も余分にとられることになります。改札を出てすぐにUターンして入るって変な感じ。なんだかめんどくさいなあ。




NPO法人大阪自然史センター総会と博物館友の会評議員会議
1月22日(土)


もともと子供をダシに博物館の自然観察会やハイキングに参加していました。子供がだんだんついてこなくなった頃、おっさん一人で参加するのも躊躇していたら友の会から評議員のお誘いがありました。今度はそれをダシに参加できるかと喜んで引き受け、それが博物館との密接な関係(?)の始まりです。

友の会も私が参加しだした頃は会員約2000名を相手にハイキングや合宿など、決まった行事をこなしているだけでした。が、いつまでも任意団体としての活動だけでは活躍の場が広がらない、ショップの売り上げも伸びてきたが友の会本来の仕事ではない、等々の理由から特定非営利活動法人(いわゆるNPO法人)を設立して活動を広げる方向になり、1999年に大阪自然史センターが設立され、私もその理事の一員に加わるようになりました。
設立準備会からのメンバーなんですが結局、わかったようなわからないような・・・・・・(なんて今頃言ってたら怒られるやろうなあ)。

年に何回か理事会があり、今日は総会でもあるらしい。
理事会といっても総会といってもメンバーはあまり変わらないし、今日は友の会総会前の評議員会議も合わせて招集されています。結局、1時30分から7時30分まで会議、でした。




コウモリ
1月15日(土)


週末の予定がこれから先、ずっと詰まって日程が取れないので、雨の中をコウモリ調査に行ってきました。
大阪最大のキクガシラコウモリ生息地です。予定どおり多数のキクガシラコウモリと、少数のコキクガシラコウモリ、冬にだけ会えるテングコウモリを観察しました。

途中で、奥の方で、かすかに物音がしました。廃坑は全く音も光もない世界ですが、この穴は最後は50cmほどの穴で外部に開口しているし、(そこで事故死したかも知れない人の)亡霊に会うことは時々あり、挨拶さえすれば実害はないので気にしませんでした。
ここは最後は急な登りになっており、その一部に這うところがあります。しんどいし、上にコウモリはあまりいないのでいつもは登りませんが、今日に限って(亡霊に誘われたのか、)めずらしく登ってみると、しましまの尾っぽが向こうに歩いていくのが見えました。物音は亡霊ではなくこれだったようです。

アライグマは凶暴で逆襲されると怖いし、逃げるところもありません。刺激しないようにそっと引き返しました。
廃坑で足跡を見ることは時々ありましたがここでは今まではありませんでしたし、実物にあったのももちろん初めてでした。

帰って過去のデータを確認すると、いつもはもっと多くの数が観察されています。アライグマが食べていなければいいのですが。アライグマは雨もあたらない、暖かい、食事が文字通りぶら下がっている天国なような穴だと思っているのではないでしょうか?うーん、困ったなあ。こっちにしても、頻繁に出くわすようなら危険だしなあ。

見ての通り、テングコウモリです。 今、始めて気がついた。テングが隠れてる!




またまた東京へ
1月9−10日(日、月)


最近、ライオンバスに凝っているので多摩動物公園日帰りを計画しました。
飛行機は始発が7時前、最終便は9時過ぎです。多摩だけではなく横浜ズーラシア(動物園)も行けそう。細君に話をすると今回はめずらしく付いてくると言います。そうなると日帰りではもったいないし、貴重な連休、仕事もそう忙しくない、翌日も予定がない、病院のK先生が留守を見てくれる、という事でディズニーランドを思い立ちました。

ということで9日は多摩動物公園へ、午後からは舞浜へ移動し2日間ディズニーランドを楽しんできました。
詳細は こちら へ。




国崎のコウモリ
1月8日(土)


ちょっと間があいた国崎の調査です。
心配していたほど工事を始めているわけではないようでした。沢に沿って何カ所か土嚢を積んでいたぐらいです。といっても、じわじわ工事を始めているのかもしれません。
下草に覆われていた穴が顔を出していました。ご丁寧に回りは土嚢で整備されています。コウモリの穴は封鎖しないという約束なので整備して格子でも付ける気でしょうか。

下草が刈られて穴が顔を出す。 これでも坑口。

ここは横穴と縦穴が混在。 これは縦穴。細くて探検せず。


いつもキクガシラがいる穴には予定どおりキクガシラがいました。が、水没していてあまり奥には行けず。
いつもコキクがいっぱいいる穴は残念ながらどなたもおられず。
モモジロがいた穴も水没で途中から入れず、コウモリも不在でした。
ということで、奇跡に期待したウサギコウモリも見つからず、いればちょっとうれしいテングコウモリも帰っていない、コウモリ的にはイマイチの調査でした。

何とか会えた子。

ついでに他の調査地も回りました。冬は下草が枯れて葉が落ち、穴捜しには絶好の季節。突然別の穴が見つかることがあります。
何年か前の冬は毎週穴を捜していました。その時代が懐かしいけど、どんな穴でも一人で入っていたし誰もどこへ行ってるかわからなかったはず。埋もれたら今頃そこで骨に?。今から思うと無謀だったなあ。

冬は穴捜しの季節。ここは探索済み。 モモジロの穴。水没していました。

開発地のど真ん中にある
ヒガンザクラ(?)の大木。
中止の決め手にはならなかった。

この穴で歓迎してくれたのはこの子だけ。 今日のおみやげ(シカ)。たぶん交通事故。








森本君を追悼・・・・

連日、津波の犠牲者が何十万人とか、殺人、事故死、医療過誤、・・・・、死亡にまつわる報道が続いています。悲しい話には違いありませんが、個人的には当事者でないことは事実で、表面上の表向きの悲しさでしかありません。
この年令になると、仕事がらみの死亡通知が来たり、葬儀に参列する機会が時々あります。それらについても高齢だったり病気だったり、ごく普通に受け入れられました。
でも、別れの挨拶も出来ぬまま突然友人を失うということは経験したことがないし、こんなに重いものだとは思いませんでした。一方的にいなくなった森本に文句を言いたい気持ちです。

11日に葬儀があり看板には森本委利の名前、お嬢さんの胸には森本君の黒枠の写真があります。最後のお別れに棺を見せていただくと森本君が眠って横たわっている。すべてが何か夢の中のような光景です。

真偽を確かめに、いつものように天王寺動物園の事務所へ行って本人に確かめたい。いつものように、一番奥の真ん中あたりの机で、一人でノートパソコンをつついているような気がします。
「おう、よう来たな。今日はなんや?まあ、ゆっくりしていきや。」からはじまって世間話をして、帰る時はいつも数m、事務所の途中まで見送ってくれます。最後に会ったのは12月28日、天王寺動物園のカレンダーをいただきにあがった時でした。その時の最後の会話を思い出そうとしていますがどうしても思い出せません。それが最後なんてわかるはずがありませんから。

この文章を読む人の99%以上は彼のことを知らないでしょう。知り合った時は予備校時代で、すでに30年近い時間が経過し、今は彼には奥さんも子供もいて彼なりの家庭と生活があります。私はそういう彼の側面は知りません。私も同様に彼が知らない面も多々あると思います。しかし、二人でで会う時はいつ ”青春時代” そのままで、お互いそういう側面は全然感じられませんでした。

森本君のことを一方的に私のHPに掲載することに意味があるんでしょうか?本人やご家族に了承もなく彼のことを書きますが、彼とのつきあいはご家族以上の年月があります。ご家族のご存知ない森本君を知っている友人として、あえてここに彼のことを掲載することにより、私なりの方法で彼を追悼したく思っています。


彼と初めて会ったのはYMCA予備校でした。お互い獣医師を目指して勉強(していたのは彼だけ?彼は大阪府大へ行き、私は酪農学園大学へ)していました。私が北海道を引き上げて大阪へ帰ってきてからは同業者(?)ということもあり頻繁に行き来していました。
世間ではお互い獣医師なので・・先生と呼ばれることが多いのですが、森本君と会うといつものように君、あるいは名前の呼び捨て。先生と呼ばれることは、すなわち半分以上は仕事が絡んでいるということで、君、あるいは名前だけで呼びあえる仲というのはいいものです。

天王寺動物園は、森本君に会いに来たと言えばタダで入れてくれることがよくありました。昔は事務所が園内にありましたし、彼は就職当時は動物園の動物病院によくいましたので。病院スタッフを連れて弁当までもって遊びに行きました。そのたび、「おう、よう来たな、今日はきれいなお姉ちゃんと一緒やんか、よろしおまんなあ、・・・・」(森本君は若いお姉ちゃんが好き、でした。)

森本君の趣味は走ること、でした。いつから走ってるのかは知りません。最初はフルマラソンをあちこちで走り、ここ数年はだんだん過激になりトライアスロンにはまっているようでした。富士登山マラソンや関東方面の山岳マラソン(24時間で何十キロだか、山道を走る?)に出たりしていたようです。宮古島のトライアスロンに出場が決まった時はずいぶん喜んでいました。確か最初の年は出場許可が出たのに練習中に自転車でこけて鎖骨を骨折し出場断念、2004年に参加したように記憶しています。今年の福知山マラソンも申し込んでいたのに豪雨で中止、って残念がっていました。次の参加予定を12月に会った時に聞いたような記憶がありますが忘れてしまいました。

トレーニングは通勤マラソン、すなわち自宅から、あるいは職場からの帰りに走っているようでした。トレーニングそのものもだんだん過激になりバイク(おそらく今回のことの遠因にもなった、1000ccを越える大型バイク)に乗って近隣の山へ日帰りで行っていたようです。動物園の勤務というのは休日が不定期で、たいてい平日に登っていました。近くの山はほとんど登り尽くしたようなことを言ってました。

テレビ的には旦那、お父さんがフルマラソンやトライアスロンを走ればゴールで家族が声援しながら涙ながらに迎え入れる、という姿を思い浮かべますよね。一度ぐらい家族の声援を受けてゴールしたことがあるんかいな、って聞いたら、「そんなん、いっぺんもないでえ、うちは女系家族で(お嬢さんが二人)男一人というのは寂しいもんや」ってしみじみ話していたことがありました。かなり無理をして山に登っていたこともあるようです。どこかでは日没までに山を下りられず野宿した、って言ってました。

今年の私の年賀状を見て(今年、森本君は正月になってから年賀状を書いたらしい。毎年家族の写真の年賀状だったのに、今年の私の年賀状が動物ばっかりだったのを受けて)送ってきた年賀状には「うらの君もとうとう家族から見離されて動物だけが友達かいな」、と書かれていました。今思うとこの ”も” という文字が妙に重く感じられてしまいます。
彼が家族と離れてトライアスロンに没頭し山に一人で登るのと同じように、私も一人でコウモリや鳥、オオサンショウウオに没頭しています。それがいいとか悪いとか、寂しいとか寂しくないというのではなく、お互い、独り身だった身の上が嫁さん付きになり、ついでこぶ付き、それが再び時間の経過と共に生活の中心から子供が抜け落ちつつある事実、境遇を物語っているような気がします。
 
世間で言うような、”安らかに” 云々という言葉は使いたくありません。なぜ私が森本君と出会い、こういう形の別れ方を ”神様” が用意したのか、その ”意味” を私なりに考えていこうと思っています。






更新休止のお知らせ
1月11日


この連休(9−10日)は多摩動物園と東京ディズニーランドを予定していました。
9日、多摩動物園を見学していたところ、午前10時過ぎに携帯電話が鳴りました。”森本なんですが”、と女性の方の声です。患者さんでもなさそうだし、ああ、友人の森本君の奥さんかと気が付いたけど急に何の用事?と思うまもなく、”森本が今朝、交通事故で死亡しました”、との事、頭が真っ白になり返事出来ずにいると、奥さん自体、どうしていいのか分からずとりあえず森本君の携帯電話に入ってる電話に順番に連絡しているとのことでした。

項を改めて森本君のことだけは書こうと思っていますが、彼は天王寺動物園の獣医さんで予備校時代の同級生です。大学は違いましたが同じ獣医師ということもあり、卒業後もずっと付き合っていた親友です。
いくら考えても年末、12月28日に会った時の顔しか思い浮かびません。用事があって動物園へ行き、いつものように私が帰る時、席を立って数m見送ってくれました。その様子だけは鮮明に覚えています。

連絡をもらってすぐに帰ることも考えましたが帰っても事態が変わるわけでもなく、森本自体、自分の用事で私の計画を変更することは望まないだろうと思い、最初の予定どおりディズニーランドへも行きましたが、その間もずっと今までの彼とのつきあいを思い出しながら、やっぱりまだ信じられない気持ちです。

私自身も気持ちの整理がつかないのでHPの更新はしばらく中断しますのでご理解下さい。
1ヶ月をめどに再開するつもりです。



国崎のゴミ焼却場
1月7日


友人から、国崎の開発がいよいよ始まるらしい、との話を聞きました。
国崎の開発とは、川西市(近辺)の水瓶のダム湖(一庫ダム、知明湖)があるところで、ここに新しくゴミ焼却場を作るという事業です。簡単ないきさつはこちら

前から事業者(行政側)がHPを作っていると言うことは聞いていました。大昔に一度開いたことはあるのですが表題の「森の泉」ちゅうのを見てアホらしくてそれ以上見ませんでした。なんでゴミ焼却場の看板が ”森の泉” なんでしょう?それを見てこういう施設を思い浮かべる人がいると思いまっか?
いわゆるアセスの結果や住民の意見に対する行政の回答も乗っているので少し目を通してみました。特にコウモリ関連のこともありましたので。


これまた回答になっていない回答、議論になっていない回答ばっかりでしっかり読む気も起こりません。
住民側は独自調査でいろんな貴重な動植物も見つけているのに、向こう側は調査したけど見つかりませんでした、でお終い。いることを証明するのは実物を持ってくればそれでおしまいですが、いないことの証明なんて絶対出来ません。誰がどんな調査をしたんでしょう?ああいうのはアセスメントというのではなく、アワスメントというらしいです。能のないアセス会社の方が行政側にとっては重宝?


HPではアクセス数がまだ1万ちょっと。税金を何百億と使う大きな問題だと思うのに誰も興味がないのか、行政側が宣伝してないのか。

そういえば箕面近辺でも余野川ダム関連で大開発が行われていますが、肝心のダム本体は最近の情報では凍結される可能性が出ています。国崎はそう簡単にはストップしそうにありません。開発すべてがダメというのではないですが、もっと興味を持ってほしいものです。


といいながらここのコウモリ調査はさぼり気味。そろそろ行かなくては。
ウサギコウモリでもいないかなあ?

高野山では屋根裏にゴロゴロいるのになあ。



一応、正月
1月1日(土、元旦)


毎年同じ事を書いています。同じ事を繰り返すのは年寄りの始まりですねえ。まあ、がまんして読んでやって下さい。

何となく病院のHPを作り、最初は病院のことも書いていたけどそのうち ”週末の院長” がメインになってしまい、看板に偽りあり、との指摘があちこちから。最近では読んでもらうことはあまり考えず、私個人の日記代わりに週末の院長を書いており、ネタ探しに出かけるわけでもないけど、週末ごとに走り回るのが休日の常になってしまいました。
HPの中身も膨大になって、もはや自分でも把握できていません。最近このHPに来られた方にとってはどこからどう読むのかわからないのでは?。ご愁傷様です。

古い記載は書き換えたいところや入れ替えたいところが多々あるけど手が回りません。本文内のリンクも切れているところが多いんとちゃうかなあ。
でも、これもいつも書く事ながらHPで知り合った方も数知れず、たいへん感謝しています。
一方通行の方もおられると思うので年賀状を掲載してご挨拶に代えさせて頂きます。

今年も1年間、よろしくお願いします。