院長の週末  


2016年   1-2  3-4  5-6  7-8  9-10  11-12

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2018年   1-2  3-4  5-6  7-8  9-10  11-12 






もひとつコウモリ
 6月30日
ホンダ バハ250 6月29日
さらにコウモリ 6月25日
またまたコウモリ 6月24日
夜もコウモリ 6月23日
やっぱり、コウモリ 6月23日

コウモリ 6月17日
ナイトハイク 6月16日
コウモリ 6月16日
USJ 6月13日
コウモリ 6月11日
コウモリ 6月9日
コウモリ 6月4日
肺炎に 5月22日~
太陽の塔 5月21日
法隆寺・中宮寺跡 5月14日

三木博士のメタセコイヤ 5月12日
外来種調査プロジェクト 5月12日
大阪城・第4師団司令部庁舎 5月4日
コウモリ 5月3日
 





コウモリ
6月30日


150頭の新生児です。

   

   

   


せっかく生まれてきたのに、みんなのように大きくなれませんでした。
合掌。

 




バハ250
6月29日


 


とうとう、250ccの バイクを手放した。

バイクの免許を取ったのが大学2年生の時だったか。友人からCB250を買ったのがバイク歴の始まり。重たいバイクだったけど、それなりに走った。
大学4年生の時だったか、別の友人がCB350をくれた。エンジンを自分で載せ替えた。今から思うと、無茶苦茶だなあ。たぶん、違法改造かなんかになるんじゃないか。当時はそんなこと考えないし。北海道を引き上げるときに、バイクは友人に譲った。

 


大阪に帰ってすぐに、カワサキのKL250の中古を買った。これが、オフロードタイプのバイクの始まり。通勤にも使ったし、当時はそこそこ乗っていたっけ。甥っ子がバイクの免許を取ってバイクを欲しがっていたので、このバイクをあげた。


私の方は初めての新車、ホンダXLR BAJA250を買った。
このバイク、バッテリーがない。エンジン始動はキックのみ。バッテリーがないので長期間ほっていても(当然)バッテリーが上がることもない。オフロードタイプだからか、とにかく丈夫だった、といっても、山を走るわけでもなく、舗装道路ばかり走っていたけど。これが25年ほど前の話だったかなあ。買った当時は通勤はもちろん、あちこちに出かけていた。病院の4時間の休みに大和葛城山まで行って、ギフチョウを採集したこともあった。

 


犬を連れて仕事に行くようになってからは、平日は車で通勤しだした。それでも週末なんかは、バイク通勤を続けていた。
休日の観察会に出かけることもあった。このバイク、微妙にシートが高い。しかもエンジンはキックのみ。エンストでもすると、バイクを脇へ寄せてスタンドを立ててからキックする。体力も使うし気も使う。

 


息子がホンダ関係の会社に就職し、通勤にバイクを使いたいというのでこれを譲った。私の方はセルモーターのついた、ホンダSL230というのをヤフオクで仕入れた。タイプはオフロードもどきで、シートも低くて、とにかくセルが付いててエンジンがかかるのが気楽だった。

 


ただ、乗る頻度がだんだん減ってきてたのでバッテリーの充電が追い付かなくって、何か月かするとバッテリー上がりでエンジンがかからなくなった。そのたびにバッテリーを買い替えていた。年に一度は替えていたかなあ。なんだか、もったいなかった。

何年かのちに、動くうちに処分しようと思ってヤフオクに出すとまあ、そこそこの値段で売れた。

 


バイク歴が少し途切れたころ、息子から連絡があった。バハが壊れたけど古くて部品がないので修理できないって言われた、って。処分するのももったいないのでとりあえず大阪へ送り返してもらった。


懇意にしていたバイク屋へ持ち込むと同じ返事だったけど、部品はどこかから仕入れて修理してくれるという。一か月後くらいに手元に戻ってきた。

 


久しぶりに乗ると、相変わらずエンジンの始動は面倒だけど、いったん走るとトルクもあって軽快。原付とは全然話が違う。ただ、こっちも体力が落ちてきたのか、気力がなくなってきたのか、そもそも駐車場所からバイクを出すのに少し手間がかかるのでそれが面倒で、ほとんど乗らないようになってきた。何度かは遠出したけど、エンストして慌てた時もあった。

 


終活」でぼちぼち私物や本なんかも処分しだしている。バイクもいよいよ手放す時期か。特にこないだの「肺炎騒ぎ」で、弱気になってきたのかもしれない。

何か月かぶりに引っ張り出してエンジンをかけて近所を走ってみた。素晴らしく走る。加速もいい。が、さすがにほったらかし期間が長かったためか、ブレーキの効きが悪く、アクセルケーブルがひっかっかる。



訣別の時。処分するべ。


 


ヤフオクへ「9万円」で出した。出ている、似たようなバイクから考えると少し高いような気もした。売れなけりゃ、手元にもう少し置いておける、てな潜在意識があったのかもしれない。ずっと入札がなかったが、最後で入札があり、手放すことが決定した。

 


入札者は本職、というか、バイク屋だった。
トラックで引き取りに来られたが、すでに2台積まれていて、また別のバイクを引き取りに行く、との事。
古い車なんかだったら海外輸出が多いんだけど、バイクは整備して国内で再販するのがほとんどらしい。このバイクも、また次のところで走ってくれればうれしい。

   

   


いよいよ、お別れ。
自分で初めて買った新車だったし、一時息子のところへ行ってたとはいえ、25年付き合ったバイクです。
さすがに寂しいけど、実際、ここ何か月かは全く乗っていなかったので、仕方ないでしょう。

 


25年定位置だったスペース。

 


これからは、この子の定位置になりました。

 




コウモリ
6月25日


廃隧道です。標高の高い山中なので出産はまだだろうと思っていましたが、赤ん坊を抱いた子がちらほらいました。

   

   


こちらには、ノレンコウモリ。

 


さらに、モモジロコウモリです。

 




コウモリ
6月24日


ここは出産が予想されたので、夜に調査しました。
食事に出かけた親を、子供だけで待っています。

   

   




コウモリ
6月23日


夜は、毎週観察しているトンネルへ。
モモジロコウモリは大きくなり、飛ぶ子が増えました。

   


コロニーに、白い子が見つかりました。この子、ユビナガコウモリなんだそうです。
近畿一円のユビナガコウモリは、ほとんどが白浜で生まれるということになっているのですが、どういう訳か、ここでこんな風に生まれる子もいます。

 


キクガシラコウモリが生まれていました。
これから100頭以上の出産があるはずです。

   




コウモリ
6月23日


某所のコウモリです。
といいつつ、アオダイショウの日向ぼっこ。

 

   


モモジロコウモリです。

 

 


この隧道では、キクガシラコウモリがすでに出産していました。
驚いて、子供を抱いたまま飛んでいます。申し訳ないです。

   

   




コウモリ
6月17日


今年は毎週観察しています。
子供は大きくなり、
飛ぶ者もいるようです。

   


真ん中のは、たぶん親。

   




ナイトハイク
6月16日


博物館の行事で、箕面でナイトハイクがありました。
車を滝上に置いて、駅まで歩いて降りました。夕方6時前でしたが、けっこうな人出でした。

 


ナイトハイクは正式な世話人ではありませんでしたが、それなりに説明等をしました。
オオサンショウウオは普通サイズが見つかりました。(うまく撮影できず。)

 




コウモリ
6月16日


某所のコウモリを見てきました。

   


数は少なかった。奥は水没で入れませんでした。

   




USJ
6月13日


とある事情で、USJに行ってきました。

あまり派手なアトラクションは乗れず、なんとなく、あちこちうろうろしていました。
最後は、夜のパレードで締めくくりです。

   

   

   

   

   

   

   




コウモリ
6月11日


先週調査した隧道です。
赤ん坊の数はさらに増えていました。この一週間に生まれた子らです。

   

   




コウモリ
6月9日


戦争遺跡のコウモリを見てきました。
ここでは、6月末に100頭近い新生児が生まれます。

 


おそらく、出産のためにコウモリが集まってきています。

   


今日の調査はエレンも一緒。

 



ついで、明治時代の廃隧道を見てきました。
ここは訪れる人もほとんどなく、すごく雰囲気のあるところです。私の好きな調査地のベスト5には入るのですが、コウモリの利用は出産時だけのようです。
数年ぶりに見に来ました。

 


(左)テングコウモリがいました。ここでは初めてだと思います。
(右)キクガシラコウモリは12頭ほどいました。おそらく、ここでも出産があるはずです。

   

 




コウモリ
6月4日


某廃隧道を見てきました。
期待通り、モモジロコウモリの新生児コロニーができていました。

   




肺炎に
5月22日~


5月22日頃より熱が出て、何となく倦怠感がありました。いつもは2,3日寝込んだら回復するのですが、今回は違います。
呼吸器症状はありませんでしたが、ちょうど一週間前に自宅の鳥小屋の再建をしていたこと、(ここではセキセイインコの糞や羽毛が舞っていた)ドバトをずっと飼育していたことなどから、オーム病感染を疑いました。
25日に自分で採血して検査すると、肝酵素類も上昇しています。さすがにこりゃいかんかと思いましたが、今まで病院なんて行ったことがなく、主治医と言えるところがありません。しばらく迷いましたが、とりあえず一番近い内科へ行ってみました。

一通り話をして、こちらからオーム病の話もするとレントゲンを撮りましょう、という事になりました。
私自身は人の胸部レントゲンはよくわからないけど、先生によると何か所かおかしい所がある、って言われました。

   


採血してもらい、とりあえず結果待ちです。この日は金曜日で、土曜日には検査結果が出るんじゃないかと思っていました。うちの病院では午後に提出した検査結果は、翌日の9時にはFAXで送られて来ます。こういう病院では通常の集配時、すなわち、金曜日提出分の検査結果は土曜日の午後に結果が出てくると事でした。

いつもなら病院にある薬を適当に飲んでいるのですが、今回はオーム病だと抗生剤を点滴するんじゃないかと思って抗生剤は飲んでいませんでした。ロキソニンやカロナールで発熱と頭痛のコントロールをしていただけでした。
早ければ月曜日にでもオーム病の抗体検査が出るんじゃないかと思って待つことにしました。
金曜日の診察でも、採血、レントゲン撮影しただけで薬は出ませんでした。こちらが適当に薬を飲んでいたからでしょう。

金曜日は勤務医が一日診察してくれるという事で、受診後早退して家で寝込みました。病院を病気で休んだのは記憶にないくらいの出来事でした。
土・日は午前診療にあたっており、午前中は熱があっても少しは動けたので何とか仕事はこなし、帰ってからはすぐに寝込んでいました。

日曜日あたりは状態は最悪で、休日診療から入院か、まで考えてしまいました。

28日、月曜の朝一番に近医へ行って、検査結果を見せてもらいました。

 

こんなに「矢印」がいっぱい付いた検査結果を見たのは初めてです。今まで、国保の「500円検診」なんかでも引っかかるのはLDLくらいでしたから。特に、CRPの上昇には驚きました。


二次診療施設で診てもらいたいので紹介状を書いてほしい、というと、快くすぐに書いてくれました。それを持ってすぐに堺市民病院へ行きました。
レントゲンの再検査、血液検査でもするのかと思っていたら、持参したレントゲンと血液検査を見て、「抗生剤でも出しておきましょうか」という事になって、なんだか拍子抜けでした。
病院の方は勤務医が面倒みてくれるというので、月曜日、火曜日は休んで家で寝ていました。

月曜日に抗生剤を飲み始めると急に調子がよくなりました。ちなみに、オーム病の抗体検査は陰性でした。
治る時期が来ていたのか、抗生剤がぴったり合ったのか。

その後も回復は目覚ましく、今までの何日間はなんだったんだろう?、って思うくらいでした。

6月4日に市民病院の再診がかかっていて朝から出かけました。今回はさすがにレントゲンと採血でした。
レントゲンは私が見てもわかるくらいきれいになっていました。血液検査も、2,3項目はHマークがありましたが、ほとんど基準値に戻っています。
念のための「除菌」目的で、あと一週間分の抗生剤をもらって一件落着、のようです。



後日、知り合いの方から、レジオネラも鑑別診断になるんじゃないか、との助言をもらいました。こちらも検査でわかるようでしたが、治ってしまってから検査が必要かどうかわからぬまま、何日も経過してしまいました。市民病院でも、原因についてはこれ以上追及する感じではありませんでした。



まあ、今回はいろいろ思うところがありました。



太陽の塔 内部公開
5月21日


太陽の塔の内部公開が始まった、との報道がありました。予約が取れないと聞いていましたが、4月末にアクセスしてみると、この日は十分に空いていました。どうしてでしょうね。月曜日で私の休みの日だったので、行ってみることにしました。

残念ながら、内部は撮影禁止でした。ずっと階段なんで、撮影に気を取られていると危ないから、というより、さっさと回転させないと後が詰まるからでしょう。

結果論からいうと、公開されている部分は両腕の部分までです。当時のまま忠実に再現した、との事でしたし、一部は壊れたままを見せてはいますが、新聞報道では失われているものも多く、60%くらいの再現、とも読んだような気がします。公開にあたって耐震補強したり、エレベーターを除去したり、かなり手が入っているのも事実でしょう。

私自身、万博には何度も通いましたが、ここに入った記憶はありません。知り合いに聞いても、みんな知らない、との事でした。これはこれでまた不思議な話です。

   

   

   


やっぱり今日も、スズメの子連れ。

 




中宮寺跡
5月14日


私の実家は法隆寺の東側にあり、はるか昔に中宮寺があった場所の近くです。ここは田んぼや畑があった場所ですが、もう、何年も前から発掘調査されていて、最近、史跡として公開されました。公開といっても、中宮寺の塔や寺があったであろう場所に礎石を並べ
、残りを広場にしたくらいです。

   


2億円だか、3億円かかったらしいです。

   

   

 


法隆寺の3塔が見られるのが売りらしいけど、建物や木々の間からちょこっと見えるくらいです。

   




三木博士
5月12日



(以下、三木先生の「お弟子さん」塚越学芸員の説明です。)

三木茂博士(1901-1974)は、1941年、化石植物の中に未知の植物化石を見出し、メタセコイアと命名しました。その後、1945年に中国で、三木博士が推定した通りの「生きているメタセコイア」が発見され、世界的な話題になりました。

 自然史博物館には、三木博士が収集した植物化石標本、現生植物標本が収蔵されています。そのうち、メタセコイアの圧縮化⽯(プレパラート標本)337点、印象化⽯120点が、511日に大阪市指定天然記念物に指定されました。

 本日、512日より、自然史博物館では、天然記念物指定を記念して、指定された標本の一部を展示しています。 現在、中国原産のメタセコイアは日本各地に植栽され、美しい新緑の姿を見せています。この機会に、三木博士が収集したメタセコイア化石と生きているメタセコイアを比べてみて、三木博士の研究に触れていただけたらと思います。

 「三木茂博士収集のメタセコイア化石」の大阪市指定天然記念物指定 記念展示

展示期間:平成30512日(土)〜617日(日)

会場:大阪市立自然史博物館 本館 第2展示室

大阪市立自然史博物館のWhats newで標本の一部の写真を見ることができます。
http://www.omnh.net/whatsnew/2018/05/post_325.html

   


機があるたびに展示されている標本類です。しっかり処理すれば何十年(何百年?)も保存できます。

   

 

   




外来種調査プロジェクト
5月12日


博物館の特別展で外来種を取り上げることになり、その調査プロジェクトが立ち上がっています。

 


タイワンタケクマバチ、って言うんだそうです。
おそらく、竹製品に紛れて入ってきたんでしょう。

   


竹に丸い穴が開いていれば、この種の可能性が高いそうです。

 


(左)桜の害虫、クビアカツヤカミキリ、だそうです。
(右)ムネアカオオクロテントウ。かなり増えているらしいけど、私はまだ見たことがありません。

   


見たことあるような、無いような。

 


なぜか、駅周辺の空き地なんかで見つかっているらしい。

 


植物編。

 


棘がすごいです。都会の空き地のアザミは、みんなこれです。

   


以下、重点的に調査する外来種、だそうです。

   

   


(右)オオバナミズキンバイ。琵琶湖で大繁殖していて、何千万円もかけて駆除しているけど、まったく追い付いていないそうです。

   


哺乳類や鳥類でもいろんな外来種があって、訳が分からなくなっていますね。



第4師団司令部庁舎
5月4日


大阪城にある戦争遺跡が改修されてレストラン等の施設に変わりました。
ついでがあったので見てきました。

 


立派な建物です。
現在は、こうなっています。

   


一階は主にショップなんかが入っています。
明らかに外国人観光客を意識した店みたいでした。

   


造りは立派です。照明等も当時のものかどうかはよくわかりませんでした。
2階、3階は高そうなレストランや結婚式場になっているみたいで、自由に見学という雰囲気ではありませんでした。屋上もそれらの施設に開放されているそうですが、野次馬的に行ける感じではありませんでした。

   


大阪城の資料室みたいなのがありましたが、すごく狭いのと、こういうのに知識も興味もあんまりないのでよくわかりませんでした。

 




コウモリ
5月3日


廃トンネルのコウモリを見てきました。
ユビナガコウモリがいっぱいいました。

   


ユビナガの中にモモジロが混凄しています。

   


キクガシラもポツポツ。

   


こちらにはモモジロが主体のコロニーも。
このトンネルでは5月末にモモジロが出産する予定です。楽しみです。

   



帰りに某戦争遺跡を見てきました。
ここではいつも多数冬眠しているのですが、この時期、一時的にみんないなくなります。で、6月末には出産のために再び集まるようです。