大和ミュージアム   

2005年12月23日(祝日)





18切符の、その3、です。

戦艦大和づいていて、呉にある大和ミュージアムと言うところへ行ってきました。
目的は戦艦大和もありますが、もう一つの目的は零戦。ここで実物を展示していると言う事を知り、それにたいへん興味がありました。
零戦は、あれだけ有名ながら実物はほとんど残っていません。靖国神社にもあるらしいですが、行ったことがありません。また、航空自衛隊もいくつか持っているらしいですが、詳しくは知りません。ちなみに動体保存されているのは日本では皆無で、アメリカに2,3機あるだけらしいです。かなり前に里帰りさせ、各地でデモフライトしたらしいです。古本屋でその様子を収めた写真集を見つけて、思わず買ったことがあります。

例によって始発電車に乗りました。阪和線、天王寺行き先頭車両に乗るとけっこうな人がいました。その人たち、天王寺に着くなり走り出します。なんで?と思いつつ環状線にボチボチ歩いていくと、目の前でドアが閉まりました。みんなご存じだったので先頭車両に乗り、走り出したんですね。何屋さんか存じませんが、毎日始発に乗ってお仕事でしょうか?ご苦労様です。

乗り換えというと下の右の時刻表をご覧下さい。どこの駅だったか、次の電車に乗り換えんとあかんかったのですが、この数字では不可能のはず。時刻表通り、右の電車はあきらめてその次の電車に乗るつもりだったのに矢印の駅でみんな乗り換えるのです。周りを見ると誰もいなくなったんで、あわてて私も乗り換えました。時刻表が間違ってる?ほんならなんのための時刻表?


いつもは、乗る電車や乗り換えごとに写真を撮っていましたがもう飽きたので省略。駅の写真も手抜きで撮りませんでした。

で、呉の大和ミュージアム。今年の4月に出来たところらしいです。戦艦大和だけではなく、それに代表される造船技術や科学技術、呉の歴史にまで踏み込んだ展示ということです。


エントランスには戦艦武蔵の遺品。複製とも書いてなかったし、たぶん本物でしょう。武蔵の一部を引き上げたというのは、はるか以前に聞いたことがあります。私の叔父が造船の会社をやっていて、戦艦武蔵の鉄を使って鎮魂のための小さな釣り鐘を作り、関係者に配ったという事を子供の時に親父から聞かされました。何回かたたいた記憶があるけど、最近見ないなあ。どこかにしまい込んでるらしい。


で、やっぱり映画の宣伝もしています。予告編の上映と撮影風景の写真がいくつかありました。


一番の売りは 1/10 の模型です。10倍すると実物に。1/10 といわれても、大きいのかどうかの判断が難しい。比較のために人形も何人か置かれていましたので、それから考えると大きいような、というところでしょうか。実感としてはつかみにくいもんです。








「昭和20(1945)年4月7日,沖縄特攻作戦に向かう途上,米艦載機の攻撃を受け沈没,乗員3,332名のうち3,056名が大和と運命を共にしました。」
となっています。右は引き上げられた遺品。誰かがこの靴を履いて戦っていたはず。
戦艦大和ばかりがクローズアップされますが、この時護衛に付いていた駆逐艦、その他の船も多数沈められました。
戦艦大和の存在の意義、沖縄特攻の意味などは余所で書き尽くされているので各自皆さんでお調べ下さい。


明治以来の軍港なんで、とにかくいっぱいの艦船が呉で作られています。潜水艦の写真がいっぱいありました。
そういえば私の子供の頃、プラモデルといえば戦闘機、戦艦や潜水艦ばかりでした。船舶は、作っては風呂に浮かべたり、公園の池に持って行ったり。(あれ、なんのための池だったんだろう?プラモデル用?深さ30cm、長さ20mほどの長方形の「水たまり」が公園に作ってありました。)


航空母艦の模型。


零戦を搭載できる潜水艦。


次の部屋は大型資料展示室、となっています。実物を並べた部屋です。ここが一番迫力がありました。
魚雷の展示と説明。タダの火薬を積んだ筒と思うと大違い。まあ、考えれば当然。内燃機関を備え、(酸素、海水、石油などが推進力、との説明あり)ジャイロで姿勢制御しながら自力で水中を走ってます。いわゆる、最新技術の固まりですな。

奥に見えるのは潜望鏡。世界に誇る、ニコン製。


いわゆる人間魚雷。特攻兵器です。



潜水艦の小型、人間魚雷の大型みたいなものです。これも特攻兵器です。



で、やっと零戦。
柳田邦男が本を書いています。非常におもしろくて何回も読み直した記憶があります。開発当時は世界で1番の戦闘機でした。機動性を追求しすぎたあまり防御が手薄で、優秀なパイロットが消耗品のように戦死していったとか。また、開戦初期に1機が米軍に撤収され、徹底的に調べられ、弱点を見つけられたとか言う話も書いてありました。最初の米軍の指令は、零戦を見たら戦わず逃げろ、だったそうな。また、あまりにも優秀すぎて次の開発が遅れ、米軍の次世代の開発機にだんだん後れを取ったとか言う話も書いていたような記憶があります。

思っていたよりかなり大きい。漠然とセスナぐらいかなあ、と思っていたけど、考えてみるとそんな小さな図体では戦争は出来ませんねえ。
うちの患者さんに、南方で零戦の整備兵をしていたという方がおられました。整備しようにもだんだん飛行機の数が減ってきたとか、飛行機が減って仕事がないので、みんなでサルを捕まえてガソリン缶に突っ込んで振り回し、酔ってフラフラになるのを見ておもしろがっていた、とか言う話をしてくれてました。もっとゆっくりお話を聞かせてもらいたい思っていたら、ご病気で亡くなられました。残念。





機械というのは動いてこその機械。やっぱり動体保存して欲しいですねえ。


で、次は突然ですが宇宙戦艦ヤマト、のコーナーが出てきます。未来の造船、技術革新の例として宇宙戦艦大和を代表に取り上げたようです。ちょっと飛躍しすぎとちゃうの?



ということで室内展示は終わり。いわゆる体験型のサイエンスルームというものあって、また別の部屋では定期的に科学実験を体験させているようでしたが、おっさん一人では気恥ずかしくて遠巻きに眺めているだけでした。

ヤマトの大きさを実感させるため、艦橋から前部分、左側と同じ面積の広場を作っていました。今気が付いたけど、色が違うところは砲台ですね。時間が無くって前までは行きませんでした。どうせなら、もっとしっかりした絵と説明を描いてくれればいいのに。


外には船が2,3展示されていました。この「しんかい」とは何代目なんだろう?今の最新型は「しんかい6500」。これも日本が世界に誇る技術、だそうです。詳しくはこちら

深海探査というと、「かいこう」という無人探査機はみなさん、ご存じでしょうか?検索をかければいっぱい出てきますが、例えばこちら。これが今、行方不明なんですね。荒れた海で調査していて、回収しようと思ったらワイヤが切れたとか。何かあれば自動的に浮上する構造になっているのでどこかに浮いているのは間違いないそうです。海でひらったら連絡してあげて下さい。でも、最新技術の探索機が行方不明って、どうなってるの?日本の深海探査技術は、ロケットの残骸を太平洋から回収したぐらいやのにね。プカプカ浮いている船が見つからないって、どう考えても不思議。いつか海洋探査船の展示があった時に担当者に聞いたら、浮いてるといっても数cm顔を出しているぐらいなので見てもわからないんです、って弁解してました。
落とし物なら、ひらえば1割もらえるのかなあ。交番に持って行くのもたいへんそうですが。


ベランダからの風景。遠くに自衛隊の艦船がいくつも並んでいます。後で調べると事前に申し込めば一般公開もされていたり、資料室に入れてくれるようでした。また、日本最大の潜水艦基地もあって遠目に眺められるようなことも書いていましたが、時間と足が無くって行けませんでした。


全体の印象としては、大和の模型が一番の売りで中央に大きく置かれていますが、悪い言い方をすれば模型の域を出ません。呉海軍工廠として造船した軍艦の模型がとにかくいっぱい展示されていますが、これも悪い言い方をすれば趣味の工作を並べただけ、とも言えます。

戦艦大和の内部を一部でも実物大で再現するとか、内部構造やどこが画期的な新技術だったのか、とか、もっと突っ込んだ解説が欲しいところです。
実物の持つ迫力という意味では零戦や回天、海龍の方がよほどインパクトがあります。こちらの方が模型よりずっと貴重で説得力があります。呉、海軍、戦艦大和の流れでの施設なので、零戦が目玉になり得ないのかもしれませんが、私個人的には零戦だけで十分満足させてもらいました。
戦争の意味まで突っ込むとミュージアムの性格からはずれるかもしれませんし、そのあたりのことは隣の広島市にお願いすればいいでしょうか。

ミュージアムショップにも期待していましたが、これは全く期待はずれ。なんだか、ありきたりのお土産を並べているだけで、しかも面積が狭くて人があふれててゆっくりできませんでした。戦艦大和関連の本を期待していたのですが、パッと見ただけでは数冊、ちょろ、っと並べているだけでした。
戦艦大和のプラモデルがいくつか並んでいたのは懐かしかったです。



さすがに集中して3回も出かけると、新鮮味が無くなって飽きてきました。何度も、並行して走っている新幹線に乗り換えたい衝動に駆られました。鈍行電車の旅というなら、1,2両のディーゼル車で山の中とか海岸を走りたいものです。

1回分残った切符はネットで処分して、今年の18切符の旅は終了。
今度は野宿が可能な時期にちょっと遠出したいものです。