屋久島・種子島旅行      


その1 屋久島


2010年8月4−8日



今年の、博物館友の会の合宿は、種子島でした。ロケット発射場の見学もあるというので、何年かぶりに参加することにし、娘が屋久島へ行きたいというので、その前に屋久島で2泊しました。

まず、伊丹空港から鹿児島へ飛びます。


関西国際空港がきれいに見えました。こうやって対岸の街並みと比較してみると、非常に大きいですね。


鹿児島空港からは、JACのボンバルディアDHC8-Q400
です。娘の仕事の都合で最終便に乗ると、乗客はまばらでした。


ちなみに、私は、約10年前にも屋久島へ来ています。その時はYS11でした。(以下、その時の画像。)


レンタカーを借りて、これまた10年前と同じ民宿に泊まりました。夕食は、トビウオの唐揚げ、でした。
ちなみに、宿泊は華のやという民宿です。HPを見て頂くとわかりますが、東京からの脱サラ移住組、だそうです。一般的に、一人旅は儲からないので受け入れを渋る所もあるそうですが、華のやさんは「一人旅を応援しています」とのことで、喜んで受け入れて下さいます。

食後、散歩と買い出しを兼ねて、近くのAコープへ。そこで見つけた、地元のジュース。一本、150円でした。


翌日は、お決まりの、縄文杉です。
10年前は車の規制もなく、登山口に車が置けましたが、最近は登山客が増えて駐車場所がなく、たいへんな状態になっていたそうです。で、今は交通規制があって、山麓に車を置き、バスで往復するようになっています。
もっとも、10年前でも駐車スペースは狭く、車を置くために、夜明け前に出発していました。この10年で登山客が3倍になっているそうです。


ちなみに、規制前は、こんな感じで車があふれていたそうです。私が来た10年前は、10台ほどの駐車スペースで足りていた、と言うことでしょうか。


連絡バスの第1便は4時40分で、私が民宿を出たのは4時でした。で、近くの弁当屋に寄り、予約していた弁当(朝、昼で1000円)を受け取りました。朝の4時に間に合うよう弁当屋を開く、というのも、たいへんな商売ですね。今度は第1便に乗るために、みんな早めに集まる、という現象が生じています。実際、4時40分の時点では、平日でしたが、バスはほぼ満席になっていました。


歩き始めた頃は、まだ暗かったです。のんびり歩いていると縄文杉近くで、登りの人と下りの人が交錯し、こちらでも渋滞が起こる、と言う話でしたので、早足で歩き出しました。


これも、上記のHPから画像を借りると、ピーク時のコース上、縄文杉のテラスは、こんな風になるそうです。都会のラッシュと変わりません。


(右)今年の初めに土砂崩れがあった所です。かなり広範囲に崩れたようです。


しばらく歩くと、小杉谷と言うところを通ります。ここに、一時は500人も住んでいたとか。家の基礎や、平らになった土地、雰囲気で、当時の様子が何となくわかります。
ちなみに、線路と線路の間の木道は、10何年か前、皇太子さんが縄文杉に登られたときに、歩きやすいように整備されたものだそうです。皇太子路、とも呼ばれているとか、いないとか。






ヤクシカに、ニホンヒキガエル。


(左)ジムグリです。
(右)ヒル、です。娘の脚を歩いていて、娘はパニックになりかけていました。ヒルに献血ぐらい、どうって事ないのにね。


長いトロッコ道と分かれて、大株歩道というところから山道が始まります。所々、木道が整備されています。



江戸時代に代伐されたものも多く、切り株更新されています。また、倒木更新されているところも多くあります。


写真が遠いですが、向こうに見えるのが、ウィルソン株、と呼ばれるものです。中が、空洞になっています。
なお、私達は始発のバスで、かなり早く歩いていたのでこちらからのコースの人と会うはずはありません。写真に写っている人たちは、縦走で山小屋泊の人達のようです。宮之浦岳、縄文杉側から降りてきているのでしょう。


これも見にくいですが、株の中からの撮影です。
(右)見上げると、空が見えます。帰りにも寄りましたが、某ガイドはお客さんに、どこそこの位置から上を見上げるように言ってました。あとで調べると、そこから見上げると空がハート形に見えるようです。どうでも良いことですね。


娘が屋久島に来たがったのは、また、急に登山客が増えたのは、もののけ姫の影響です。(もちろん、世界遺産登録も関係はあるでしょうけど。)
本来は、宮崎さんは、白谷雲水峡の某所で、もののけ姫の構想を練った、と言われています。で、そこで写真を撮ると、木霊(こだま)が写ると言われています。
私の写真にも、いくつも木霊が写っていますが、どうでしょう?


拡大すると、目が付いているのがはっきりとわかります。

(というのは、ウソです。目は合成です。すみません。あ、「木霊」は本物です。)




で、縄文杉に到着しました。8時過ぎだったか。3時間ちょっとで到着したことになります。日帰り客ではもちろん一番乗りですし、縦走組とも合わず、景色を一人(二人)占めでした。
確かに、重厚な感じのある大木です。高さは、高くありません。昔は直に肌で感じることが出来たらしいですが、今は離れたテラスから見るようになっています。





テラスの反対側にある杉です。
(左)なぜか知りませんが、上部で無数に枝分かれ(?)している木があります。名前は付いていないようです。
(右)夫婦杉、と言う名前の付いた屋久杉です。写真ではよくわかりませんが、右の木から伸びた枝が、隣の木とくっついているのです。


40分ほど佇んで、来た道を戻りました。
大株歩道では登り客とのすれ違いで、(登りが優先ですので)たびたび待たされました。


(左)橋の付け替え工事のために、これに乗ってきたようです。
(右)朽ち果てたトロッコ電車(気動車)が捨てられていました。電車からも木々が生えています。



登山口まで戻ってきました。12時前でした。結局、往復、6時間くらいだったでしょうか。
ガイドブックなんかでは、たいてい10時間、と書いてあるのですが、10年前も、今回もこれくらいの時間で往復しています。特に急いで歩いた感覚もないし、それなりに風景を楽しみながら歩いたつもりです。
最近では、時間がかかりすぎるのと、人が多いので縄文杉登山はお勧めしません、と書かれたガイドブックもありますが、やはり一度は歩きたいコースです。
道中はほとんど雨でしたが、それなりに楽しい時を過ごしました。何度歩いても、すばらしいところです。




駐車場所に、屋久島自然館という施設があります。町営で無料だと思っていましたが、入ってみると600円だったか、700円だったか。博物館的な感覚ではちょっと高いような気もしますが、まあ、自然保護への寄付も兼ねて、と言うことで。
そうそう、荒川登山口でも、一人500円の寄付をお願いします、との事で、協力金を納めてきました。







自然館見学の後はお決まりの「滝めぐり」です。
どこへ行っても、レンタカーが何台も並んでいます。まあ、当然、地元の人が滝めぐりをするとは思えませんが。町中を走っていても、目立つのは「わ」ナンバーの、レンタカーばかりです。






こちらは、仲間川のガジュマロ。



屋久島は中毒になる、というのがわかります。苔むした山はすばらしい、の一言です。お金とヒマさえあれば、毎年でも行きたくなりますね。また違った季節に訪れたいものです。
今回は時間が限られており、縄文杉しか行けませんでしたが、高層湿原やいろんな姿の山々があります。ガイドブックが言うように、縄文杉だけが屋久島ではありません。

名残惜しいですが、翌日、友の会合宿の集合地である種子島への移動のため、宮の浦港へ向かいました。

(以下、種子島へ)