18切符の旅 舞鶴・敦賀


2012年8月9日
 


18切符です。目的地は、舞鶴。煉瓦の建物がいくつかあるというので、行ってみることにしました。

18切符というと普通は始発に決まっているのですが、都合で6時過ぎの電車に乗りました。検索サイトで、大阪から福知山へ行く電車があるようなことが書いてあったので、大阪駅へ行きましたが、「福知山線」という表示がありません。
大阪駅をさまよいましたが結局わからず、18切符で舞鶴へ行きたいと駅員に説明しても、時刻表をひっくり返すだけで要領を得ません。駅員はみんな鉄道お宅というわけでもないんですね。
結局、京都駅から山陰線で行くことにしました。


乗り継ぎの電車待ちです。
なんやらモニュメントがありました。さっぱり、理解できません。


やっとこさ、東舞鶴に着きました。


ふと思いついて、自転車を借りることにしました。結果的に、大正解でした。


事前に調べていると引揚記念館と言うところがあり、ここへ行こうと思っていたのですが、バスの便が悪く、歩ける距離でもないので自転車、と思った次第です。自転車でも40分と言われていましたが、実際には20分ほどで行けました。


伯父がシベリア抑留組で、2年間ほどソ連に抑留されていました。それが興味を持った理由の一つです。





食事、だそうです。
(左)朝食。
(右)昼食。


夕食、だそうです。雑穀です。


まさに、極寒、だそうです。


(右)実物の持つ重み。


ものすごい人数ですね。
詳しい話は聞けずじまいでしたが、伯父が何かに投書していた文に、「小さな子の手を引いた若いお母さんがいたが、無事に日本にたどり着いたのだろうか」と書かれていたのを思い出しました。


今の若い子に、この話が通じるのでしょうか。


銀杯一つで「慰労」というのも、釈然とはしませんが、もちろん、戦争の犠牲者はこの様な人たちだけではありません。


そんなに大きな期待をして入った施設ではありませんでしたが、非常に有意義な施設でした。
もっと人が集まりやすい何らかの方法を考えた方が良いと思いました。絶対にお勧めの場所です。もう、「引き揚げ者」も高齢で、本当の事実を知っている人も少なくなっているでしょう。後世に残すのは、私たちの世代の責任です。

舞鶴には、海上自衛隊の施設がいっぱいあります。休日に一般公開しているところもあるようです。
また、北西部の湾は完全に自衛隊の施設になっているみたいで、古い建物もいくつも残っているようでしたが、遠いので行きませんでした。


まず、「赤れんが博物館」と言うところへ行ってみました。
古い倉庫を改造して、博物館のような展示施設にしています。
展示そのものは撮影禁止、と書かれていたので、自粛しました。世界中の煉瓦建築を紹介し、いくつかの実物を並べています。じっくり見ると、おもしろそうでした。
(右)煉瓦を作る炉を再現しているそうです。



大きな煉瓦造りの倉庫が並んでいます。軍事施設だったのに、よく残っていますね。



内部にいろいろな展示や、イベントスペースを作っていますが、これといった目玉的なものは少なく、集客能力には疑問符が付きそうでした。大都会なら何をしても人は集まるんでしょうけど、やっぱり、この地じゃ、これだけで生き残るのは難しいように思いました。


何とかトンネルという、現在は人と自転車道路になっています。文化遺産になっていたっけ。でも、この程度のトンネルはコウモリ調査で、あちこちで見ています。これよりずっと、雰囲気のあるトンネルばかりです。


自転車を利用したこともあり、また、煉瓦の建物以外に見るものも少なく、時間が余ったので敦賀回りで帰ることにしました。


とりあえず敦賀まで来ましたが、ここでも特に目的はなく、大阪行きの快速を待つ間に食事でも、と思ってうろつきはじめました。
と、銀河鉄道999がらみの展示が、メインストリートにいくつも並んでいるのを知りました。時間的にすべて見て回る余裕はなく、いくつかを撮影するにとどまりました。いつか時間があれば、完全制覇したい衝動に駆られます。


ということで、2回目の18切符は終了しました。
予想以上に楽しい旅になりました。