旧深山要塞重砲兵聯隊 陸軍墓地 

2014年11月29日


加太の近く、深山というところの山中に陸軍墓地があります。
何度か来たことがあるのですが、記録として残しておけるかどうか、再度訪れました。


斜面を登ったところに広い土地があります。右側に30基ほど、左側に20基ほどという感じでしょうか。きっちり数を記録しようと思っていたのに忘れました。倒れた墓標や破損した墓も多数あります。
真ん中に通路らしきものがあり、そこを登ると次の墓地スペースになります。


墓に記載されているのは、正面に階級と名前、側面に出身地と死亡年月日というのが多かったです。
真田墓地で見たような、死因について書かれたものはありませんでした。
一つ一つのスペースも、そこそこ大きいようでした。また、丈夫な花崗岩でできているものも多く、それらの破損はわずかでした。
古そうな墓石は砂岩でしょうか?コンクリート状のようなものもあったのですが、よくわかりません。

「砲兵聯隊」の墓らしいので、階級は砲兵一等、砲兵二等、と書かれているものが多かったように思います。

真ん中のような、昭和年代の墓もポツポツありました。これらは破損もなく、きれいです。

 


右側の、コンクリート状の墓の材質がよくわかりません。こういう雰囲気の墓は古いもののように思います。

 


大正年代の死亡の年月日も時々あったように思います。

 

 

 


真ん中。補充役陸軍砲兵なんとか、と書かれています。

 


明治の死亡年月日は、30年代後半が多かったように思います。

 

 

   


   

     

 


右側の墓。陸軍一等討手?

   


 


陸軍三等看護長となっています。

 


こちらには、看護手。

 


少尉のお墓は、みんなとは離れたところにありました。年号も昭和年代です。

   


下から数えて三段目のスペースに合葬墓地があります。
左から順番に、将校相当官、準士官、下士(官?)、兵卒と並んでおり、その順番に小さくなります。

 

 


明治三九年十一月建立、となっています。
日露戦争が三十七,八年らしいのでその時の戦没者を祭っているのでしょうか。明の字が不思議な形ですね。



 


空いたところにも昔は墓石があったんじゃないでしょうか?


真田墓地には数千基の墓と言われているので、それとは比べようもない数です。こちらには、限られた職種の人たちが眠っているのかもしれません。
加太の施設、友が島の施設の規模から考えると数が少ないような気もします。他にも墓地があるのかもしれません。

管理用の道具を入れていると思われる納屋はありますが、かなり古びており、定期的にどなたかが管理しているようにも思えません。ただ、何度か前に来た時には花が添えられていたようにも記憶しています。

時代とともに、歴史や記憶、墓そのものも風化していくことはやむを得ないのかもしれません。