長崎  池島炭鉱  


2015年8月9日

今日は本命の池島炭鉱です。フェリーで30分ほどです。

 


いよいよ島と建築物が見えてきました。

 


(右)黒っぽいのはズリと思われます。


午前中はお話しとビデオを見て勉強しました。
昼食は「炭鉱弁当」、といってもこれがそのまま炭鉱夫の昼食だったわけではなく、想像で再現したものらしいです。


各自、ヘッドライトを装着しました。
背中に担いでいるのはバッテリーです。


(右)これは石炭ではなく、岩と一緒になっているもの。何て言ったっけ?すごく硬くて重たいです。これを掘っていたわけではありません。

 


トロッコ電車と言われているけど、本来トロッコとは石炭を搬出するものなのでこれは人車、って言うんだったかなあ。
これで地上を少し走ってから、いよいよ炭鉱へ入っていきます。

 
 

 

 


坑道でパネルを見ながら説明を受けています。
実際に働いておられた方の話なので重たいです。

 


見学用に新たに炭鉱の先端部を再現したそうです。真ん中にドリルが設置されています。これで穴を開けてダイナマイトを挿入しました。

 


名前は聞いたけど忘れてしまいました。
見ての通り、掘り出す機械です。

 


これは緊急用のテントです。空気が出てくるようになっています。

 


はるか上に開口部が見えています。ここは石炭を搬出する斜坑です。
見学していた坑道は地下60mくらいに相当するそうです。


再びこれに乗せてもらって外へ出ました。


坑道の見学のあとは島内の見学です。
(左)島には海水を淡水化する設備があり、そこで出てきた温水をあちこちのアパートに循環させていたそうです。

   


炭鉱の象徴のような、立坑のエレベーターです。10数人入る箱が縦に2つだったか、3つだったかあって、一気に数百m下の坑道まで降ります。


この一角には一軒家が並んでいました。炭鉱が出来る前から住んでいた人たちの集落なんだそうです。
当時はこの中にパチンコ屋もスナックなんかもあったそうです。

   


吸排気塔、だったっけ。


これは地下の水平坑道で走っていた電車です。ドイツ製なんだそうな。これで何kmだかを走り、その先はベルトコンベアでまた何百mかを移動したそうです。


いろいろな機械が並んでいました。このまま中古で売れないんでしょうか?もったいないですね。

 


坑道から見えていた開口部です。
この斜坑から石炭を運び出していました。

 

 


炭鉱住宅、アパートを見せてもらいました。
(左)炭鉱は3交代の24時間操業なんで、夜勤の時などは「安眠中」の札を下げて睡眠を妨げられないようにしていたそうです。
子供らもいつも外で遊ぶように言われていたそうです。

 


自然に帰ろうとしている住宅群です。


(左)この島、このアパートで育ったお姉さんが結婚を機に再訪してこれを見て涙した、という話をしてくれました。


こちら側から見ると8階建てですが、裏側に道路が通っていて4階部分につながっています。

 


今は遊ぶ子もいない公園です。


現在、島の住民は160人くらいだったかな。小学生は3年生に一人だけなんだそうです。来年妹が入学して二人になる予定だとか。
中学生はおらず、休校中。

 


(右)となりは無人島ですが、立坑が一つあるそうです。そのエレベーターの操作はこちら側のこの建物からの電波で行われていました。

 

 


石炭の積み出し関連の設備です。

 


(左)当時はここに石炭が山積みされていたそうです。

   


(左)淡水化プラントでした。

 


今は売店もないそうです。移動販売車が(毎日?)来るそうですが、値段は経費もかかるので3%だったか、5%だったか上乗せされるそうです。

   


島にいるのはお年寄りと猫ばかり、という話でした。たしかに、猫はいっぱいいました。
また、最近、イノシシがものすごく増えているそうです。島を歩いていても掘り返した跡があちこちにありました。

 

 


充実した一日も夕方には終わりました。
島にはちゃんとした宿泊施設はなく、ほとんど人が見学を終わると夕方の便で島を離れるみたいです。
廃墟ではありますが、朽ちる過程を観察できるのは今しかないのかもしれません。
何度でも来たくなる雰囲気のある島でした。

   


また来たいなあ。
今度は宿泊して。