五箇山と白川郷                                             

2002年9月22−23日(日−月)

相倉集落

あいのくら、と読むらしいです。茅葺きの家が20件ほど残っているとか。
集落の前に大きな駐車場とトイレ、案内小屋。
ちょっと違和感を覚えつつ集落に入りますと茅葺き家と”民宿”の看板がセットになったのが何軒か見えます。確かに、遠くから見ると大きな家が並んで、狭い谷に肩を寄せあう合掌作り、という感じでしたが下を歩くと(当然かもしれませんが)舗装道路に土産物屋、民宿ばかり目に付きます。何百年も静かに、どっしりと、風雪に耐えて生き抜いている家と人という感じではありません。

家は古いけど”仕事”は現代版?。

世界文化遺産に指定され、好むと好まざるに関わらず(私も含め)”観光客”がどっと押し寄せると生活も変わらざるを得ないでしょう。それが良いとか悪いとか私が判断する立場にはありません。





菅沼集落


川の横の狭い土地に数件の茅葺きの家があります。駐車場が少し小高いところにあるので全貌が見渡せます。
日暮れ間際に着いたので人もほとんどいなくていい雰囲気でした。ざっと見たところ、土産物屋が1軒と民宿は1,2軒?。
キャンプ場があってそのそばにも茅葺きの家がありましたがたぶんこれはキャンプ場の施設なんでしょう。もう、ほとんど真っ暗でよくわかりませんでした。

車内で、ファミリーパークで頂いたおみやげのマス鮨を食べて晩ご飯にしました。
日が暮れてから雨が降り、ひょっとするとシロマダラ(夜行性のヘビです。念のため。)でも出るのかなあ、と思いつつめんどくさいので外には出ませんでした。結構、ぐっすり寝られました。

茅葺き家の横で寝ている、と思うとちょっといい感じでした。
早朝、6時過ぎに目が覚めて集落を見ると後ろの山に霞がかかり、さらにいい感じ。





村上家住宅


国の重要文化財に指定されている、大きな合掌作りの家です。400年前の建物とか。
ご当家のお年寄りが囲炉裏端で説明して下さいます。こきりこの唄を唄って下さいましたが、こきりこの唄がここだとは知りませんでした。私はたぶんフォーククルセダーズが歌っているので覚えました。本物はやっぱり本物ですなあ。

      窓のサンサもデデレコデン
      はれのサンサもデデレコデン
  ^筑子の竹は七寸五分じゃ
   長いは袖のカナカイじゃ

写真、テレビで見るとおりの合掌作りで(当たり前!)実物を目の前にして感激しました。



羽馬家住宅


同じく重要文化財ですが公開はされていません。村上家より一回り小さいようです。
外観的には普通の茅葺きの家のような気がしました。
(デジカメでは撮影せず。)


岩瀬家住宅

かなり大きな家です。部屋も細かく区切られているようでした。囲炉裏が2カ所あります。
入るとすぐにおばちゃん(あるいはお姉ちゃん)が家の説明をしてくれますが早口でよくわかりませんでした。あとでパンフレットを読むとおっしゃってた説明がよくわかりました。

囲炉裏端でたぶんご当家のご主人、ご友人が火を囲んでだんらんしておられました。
なんか人の家に勝手に上がり込んだ感じです。




白川郷


予想はしていましたがすごい人と車。それをあてにした土産物屋と民宿。
おきまりの荻町城跡へのぼり集落を一望しました。確かにここから見ると壮観です。ただし、じっくり見ると土産物屋と人ばかり目に付きます。集落内を歩いていても人ばっかりで大阪の町中を歩いているのとそうそう変わりません。

ここも厳冬に耐え生活している人と家、という感じではありません。人が集まるので必然的に土産物屋が出来、需要があるので民宿が出来る。今を生きる知恵というか、当然の成り行きなんでしょう。
裏へまわると子供が遊んでいたり、洗濯物があったり、人の生活臭はありますが常に人の目にさらされながら生活するというのはどうなんでしょうね。

望むと望まざるに関わらず、みんな今を生きている訳で、ブルーノタウトさんがここを訪れた時代に戻るのは不可能でしょう。でも彼が今の状態を見たらきっと驚くでしょうねえ。















和田家住宅


白川郷内にある、公開されている民家です。
詳しく見れば相倉、菅沼、それぞれ作りが違うらしいけど一見したところは他の住宅と同じです。
とにかくここも人ばっかりです。さすがに囲炉裏端で説明、というのはありませんでした。

明善寺
お坊さんが読教している横でお孫さんと思われる小さな女の子が鐘をたたいて遊んで(?)いました。これもこの寺の日常をのぞき見している感じでした。




白川まとめ


他に合掌作りを移転して集めたところがありましたが入場料500円とのことでした。数件を見学し、食傷気味でこちらへは入りませんでした。
何年も前から一度は行ってみたいと思っていた場所に思いがけず、急に行くことになったわけですが、見て初めてテレビ等で見た時の感激を再び思い出すとともに、世界遺産とはいうけど人が集まればこうなる、時代とともに生活は一変する、との印象を強く受けました。

そこに人が生活している以上、その生活に外部のものが口出しすることは出来ません。
相倉集落で感じた違和感を通り越し、白川郷はテレビやカメラのフィルターを通して見た方がすばらしい、との印象を持ちました。私自身、白川郷の変貌の一端を担ったわけです。

大雪のきびしい環境がこの風景を作ったわけで、やっぱり冬に来るのが正解なんでしょうか。といっても、私がそう思うと言うことはみんなそう思っているわけでしょうね。

和田家住宅を見学していると2階に電球がセットされていました。夜に障子の後ろからライトを当てて灯りを灯すんでしょう。荻町城趾からのライトアップの写真があちこちに張られています。そこまでのサービスが何で必要なんでしょうね。ハード(外側)は何百年も昔の建物ですがソフト(内側)は現代の趣向、ディズニーランドとあんまりかわらんような印象でした。



遠山家住宅

ほんの少しの感動ともやもやをかかえながら帰ろうとすると、またまた道路脇に茅葺き屋根が見えました。いったんは通り過ぎましたがもうこちら方面に来ることも無いやろうと思い、引き返しました。

みんなもあまり寄らないのでしょう。見学は昼過ぎでしたが、私一人でした。見学料も210円と、よそよりお得、説明もビデオがあったりきっちりした説明文があったりです。
上の階には他と同じく民俗資料が並んでいましたがきっちりガラスケースに収められ説明もわかりやすくついています。
公開している民家ではここがお勧め、ついで村上家です。

見学後、車に乗って帰りかけると”とおやま”と書かれた、コンクリートの商店がありました。たぶんこの遠山さんのご子孫なんでしょうね。やっぱりこっちの方が住み易いんでしょう。



大阪に帰ってから本屋でもう一度五箇山の資料を探してみました。
少し前の相倉は舗装道路も駐車場もなかったようです。菅沼も白川郷も写真で見る限り、私の見てきたその場所とは感じが違うようでした。写真の撮り方もあるのでしょうが、今はそれ以上に変わっていると思われました。